実家のほう
実家では、おじいちゃんとおばあちゃんが千葉県産コシヒカリを作っていました。今はもう高齢のため、田んぼは他の人に貸して作ってもらっている状態。
物心ついたときからずーっと実家で作ったお米を食べており、今でも定期的に実家からお米が届くか、もしくは母たちがこちらに来るときに持ってきてくれます。
なので、我が家ではお米代が全くかかりません。
幸いにも夫も「お米おいしい」と言ってくれています。
しかし、私と逆で夫は朝食は断然パン派。朝からご飯は重いそうです。
育ってきた環境の違いです。
夫は小さいときからテーブルとイスで食事。私はこたつ(夏はもちろんテーブルのみ)とお気に入りの座布団で食事。テーブルで食べるなんてファミレスに行ったときくらいでした。
実家はいわゆる田舎の家です。
縁側もあり、座敷だって中央のふすまを開ければ20畳くらいの広さになります。田舎のほうは、今でもそうだと思いますが、自宅でお葬式などを執り行います。
おばあちゃん曰く、私のひいおじいちゃんのお葬式を自宅で行ったとき、私はまだ1歳。
縁側を子供用の手押し車(押して歩くとカランカラン音がしたりするやつ)で縦横無尽に歩き回り、お坊さんが木魚を鳴らすと、いちいち振り返っては「あれ?あれ?」と言っていたそうで、挙句はオナラまでしたそうです。
本人は当然覚えていませんが、参列者が必死で笑いをこらえていたとのこと。
大変だったでしょうね。
お盆には仏壇をいつもよりきれいにしてご先祖様をお迎えするのですが、いつもお坊さんが来てお経をあげてくれます。
大人のお坊さんともう一人、私と同級生くらいな感じの男の子の小坊主も傍らにいたのを覚えています。一休さんみたいな感じ。
当時は「お坊さんの子供なんだろうな」と思ってました。
実家を出てからお盆は私は参加していませんでしたが、昨年の夏、ひいおじいちゃんの33回忌法要で実家に帰ったとき。
いつものようにお坊さんが来てお経をあげてくれます。
そのあと、そのお坊さんを囲んでお茶を出して少しもてなすのですが、そのお坊さんが、昔のあの小坊主さんだったのです!
まぁ~!立派になられて・・・。
顔はわりと男前、お坊さんの衣装?の効果もあってかなりいい雰囲気もある。お経をあげる声もいい。
総じてイケメン。
坊主でかっこいいって、素材がいいってことですよね。そして、恐らく私と同じ年齢くらい。
「もう少しお茶いかがですか?」なんて言ったりして。
お話を聞くと、修行はかなり大変だったとのこと。まさに立って半畳・寝て一畳の生活スペース、寺の長い廊下を雑巾がけする、食事は精進料理とほんとにお坊さんの生活イメージそのもの。
(イケメンとの)貴重なお話の時間でした。
それから、夫が驚いていたのが「屋号」です。
苗字ではなく、それぞれの家に付けられた呼び方のようなもの。
夫を連れて帰ると、話の中に近所の家の屋号が飛び交う。
私も弟も、それがどこの家のことを指し、さらにその家の子供とは同級生だとか、そういうこともわかるのですが、夫にしてみれば苗字でもなさそうな単語だし、でも同級生とか言ってるし・・・てな感じでさっぱり話がわからない。
屋号って知ってる?と聞いても、何それ?と全く知らない。
自分が田舎出身と実感する瞬間でもあります。
夫がいちばん衝撃的だったのが、コンビニの「大型車の駐車スペース」だそうです。
しかも普通車のスペースがある程度あっての話。それも1台ではなく5,6台は平気で駐車できるスペースがあることが衝撃だったそうです。
それから私の実家の今では「市」になりましたが、電車の駅が無いことにも衝撃だったとか。
そのわりにバスも1時間に多くて2本ということも。
そう、だからみんな高校3年生になると、学校に内緒でこぞって教習所に通い出すのです。
バレないように合宿に行ったり。車がないと生活できませんから。
それまでは(もちろん学校では禁止されてましたが)、原付バイクです。
物心ついたときからずーっと実家で作ったお米を食べており、今でも定期的に実家からお米が届くか、もしくは母たちがこちらに来るときに持ってきてくれます。
なので、我が家ではお米代が全くかかりません。
幸いにも夫も「お米おいしい」と言ってくれています。
しかし、私と逆で夫は朝食は断然パン派。朝からご飯は重いそうです。
育ってきた環境の違いです。
夫は小さいときからテーブルとイスで食事。私はこたつ(夏はもちろんテーブルのみ)とお気に入りの座布団で食事。テーブルで食べるなんてファミレスに行ったときくらいでした。
実家はいわゆる田舎の家です。
縁側もあり、座敷だって中央のふすまを開ければ20畳くらいの広さになります。田舎のほうは、今でもそうだと思いますが、自宅でお葬式などを執り行います。
おばあちゃん曰く、私のひいおじいちゃんのお葬式を自宅で行ったとき、私はまだ1歳。
縁側を子供用の手押し車(押して歩くとカランカラン音がしたりするやつ)で縦横無尽に歩き回り、お坊さんが木魚を鳴らすと、いちいち振り返っては「あれ?あれ?」と言っていたそうで、挙句はオナラまでしたそうです。
本人は当然覚えていませんが、参列者が必死で笑いをこらえていたとのこと。
大変だったでしょうね。
お盆には仏壇をいつもよりきれいにしてご先祖様をお迎えするのですが、いつもお坊さんが来てお経をあげてくれます。
大人のお坊さんともう一人、私と同級生くらいな感じの男の子の小坊主も傍らにいたのを覚えています。一休さんみたいな感じ。
当時は「お坊さんの子供なんだろうな」と思ってました。
実家を出てからお盆は私は参加していませんでしたが、昨年の夏、ひいおじいちゃんの33回忌法要で実家に帰ったとき。
いつものようにお坊さんが来てお経をあげてくれます。
そのあと、そのお坊さんを囲んでお茶を出して少しもてなすのですが、そのお坊さんが、昔のあの小坊主さんだったのです!
まぁ~!立派になられて・・・。
顔はわりと男前、お坊さんの衣装?の効果もあってかなりいい雰囲気もある。お経をあげる声もいい。
総じてイケメン。
坊主でかっこいいって、素材がいいってことですよね。そして、恐らく私と同じ年齢くらい。
「もう少しお茶いかがですか?」なんて言ったりして。
お話を聞くと、修行はかなり大変だったとのこと。まさに立って半畳・寝て一畳の生活スペース、寺の長い廊下を雑巾がけする、食事は精進料理とほんとにお坊さんの生活イメージそのもの。
(イケメンとの)貴重なお話の時間でした。
それから、夫が驚いていたのが「屋号」です。
苗字ではなく、それぞれの家に付けられた呼び方のようなもの。
夫を連れて帰ると、話の中に近所の家の屋号が飛び交う。
私も弟も、それがどこの家のことを指し、さらにその家の子供とは同級生だとか、そういうこともわかるのですが、夫にしてみれば苗字でもなさそうな単語だし、でも同級生とか言ってるし・・・てな感じでさっぱり話がわからない。
屋号って知ってる?と聞いても、何それ?と全く知らない。
自分が田舎出身と実感する瞬間でもあります。
夫がいちばん衝撃的だったのが、コンビニの「大型車の駐車スペース」だそうです。
しかも普通車のスペースがある程度あっての話。それも1台ではなく5,6台は平気で駐車できるスペースがあることが衝撃だったそうです。
それから私の実家の今では「市」になりましたが、電車の駅が無いことにも衝撃だったとか。
そのわりにバスも1時間に多くて2本ということも。
そう、だからみんな高校3年生になると、学校に内緒でこぞって教習所に通い出すのです。
バレないように合宿に行ったり。車がないと生活できませんから。
それまでは(もちろん学校では禁止されてましたが)、原付バイクです。
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